2009年06月16日

レーザーと同様な原理で、鼻粘膜に対する超音波メス

レーザーと同様な原理で、鼻粘膜に対する超音波メスによる処置や、高周波電流を使った鼻の処置が行われている。薬剤の塗布によって鼻粘膜を化学的に焼く方法もある。治療成績や後遺症については、レーザー同様、確立した知見はない。

特に通気性の改善のため、鼻中隔湾曲など鼻の器質的な異常に対する手術も行われる。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

鼻水がひどい難治例にはビディアン神経切除術なども行われる。

麻酔科からのアプローチとして、首にある星状神経節のブロックという方法も行われる。治療成績は明らかでない。

目の涙管に抗アレルギー薬を注入するという治療法も一部の眼科で行われている。保険適用ではない。

その他、その医師の独自の考え方により特殊な治療法が実施されることもある。治療成績はもちろん、安全性についても明らかでないものがあるので注意が必要である。

漢方薬による治療 [編集]
各種の漢方薬による治療も行われる。漢方薬は症状ではなく体質によって薬を選択するので、本格的には専門家の見立てが必要である。一般の西洋医学の医師は、効果のマイルドな薬という観点で西洋薬的に用いることが多いが、それは正しくないともいわれる。体質との相性がよいとかなりの症状の改善が期待できるが、現代医学的に効果が確かめられたものは小青竜湯だけである。病院で処方を受ければ保険が利く(しかし、一般の病院では漢方の専門知識をもった医師はめったにいない。理想的には和漢診療科などがよい)。上記抗ヒスタミン薬などの西洋薬との併用も行われる。女性の妊娠・授乳期にも比較的安全といわれる。症状を抑える即効性の薬のほか、長く飲み続けて体質を変えて根治をねらうとされる種類の薬もある。

多く誤解されているのが、漢方薬なら副作用がないということだが、決してそのようなことはない。特に小青竜湯や葛根湯に含有されるマオウは、体質または服用量により動悸や血圧上昇などが起こりやすい。ただし、抗ヒスタミン薬のような眠気はない。

花粉症によく用いられる漢方薬??葛根湯、柴朴湯、小柴胡湯、小青竜湯等

2009年05月30日

小御所会議

慶応3年12月9日18時頃から 御所内・小御所にて明治天皇臨席のもと、新体制として最初の三職会議が開かれた。

山内豊信ら公議政体派は、徳川慶喜の出席が許されていないことを非難し、慶喜を議長とする諸侯会議の政体を主張した。これに対し岩倉、大原らははじめ押されていたが、山内が「そもそも今日の事は一体何であるか。二、三の公家が幼沖なる天子を擁して陰謀を企てたものではないか」と詰問すると、岩倉が「今日の挙はことごとく天子様のお考えの下に行われている。幼き天子とは何事か」と失言を責めたた
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め、山内も沈黙したという。この時点で辞官納地(慶喜の内大臣辞任と幕府領の放棄)は決まってはいなかったが、岩倉らは徳川政権の失政を並べ、「辞官納地をして誠意を見せることが先決である」と主張する。山内らは慶喜の出席を強く主張して両者譲らず、遂に中山忠能が休憩を宣言した。同会議に出席していた岩下方平は、西郷に助言を求めた。西郷は「短刀一本あれば事が足りる」旨を述べ、岩倉を勇気付ける。このことは芸州藩を介して土佐藩に伝えられ、再開された会議では容堂はおとなしくなり、岩倉らのペースで会議は進められ辞官納地が決した。

2009年04月27日

機甲師団の誕生

戦車の登場は第一次世界大戦中のことであり、塹壕戦突破などが主目的であった。始めは歩兵部隊の支援として、歩兵に従属する形で各車が分散される形で用いられた。

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大戦終了後、各国の軍人(イギリスのJ・F・C・フラー、フランスのシャルル・ド・ゴール、ドイツのハインツ・グデーリアン、ソ連のミハイル・トゥハチェフスキーなど)・軍事研究家(イギリスのリデル・ハートなど)が歩兵ではなく、戦車を主戦力とした部隊の構想を着想した。戦車を主力とし、歩兵をその支援にまわすことで、機動力と打撃力がある部隊が構成でき、それが軍としての理想形だと考えた。

だが、フランスでは要塞マジノ線の建設に軍事費の多くを費やし、軍幹部は歩兵が軍の主力と考えたため、ド・ゴールの意見は採用されなかった。イギリス・ソ連での実際に行われた機甲師団の実験も、イギリスでは軍縮政策で、ソ連ではスターリンによる赤軍粛清の際、トゥハチェフスキーら機械化を進めた将校を処刑・追放したことで、頓挫してしまう。

ドイツはヴェルサイユ条約の厳しい軍備制限(陸軍兵力10万人、海軍1.5万人。参謀本部、潜水艦、空軍、戦車は保持出来ない)によって戦車戦術を研究出来なかったが、張りぼての戦車や「農業用トラクター」と詐称して製造して、ソ連国内の秘密の戦車学校にて戦車戦術を研究した(I号戦車)。アドルフ・ヒトラーの後援もあり、世界で機甲師団を最初に編成したのは、ドイツ再軍備宣言後のドイツ国防軍であった。1935年10月15日に第1から第3の三個装甲師団が編成されたのが最初である。

2009年04月10日

リュート

リュート(英:Lute, 伊:Liuto) は撥弦楽器の一種で、主に中世からバロック期にかけてヨーロッパで用いられた古楽器群の総称。ひとまとめにしてリュート属とも呼ばれるこれらの楽器群には時代や目的によってさまざまな形態のものがある。

元来はアラビア起源の楽器が中世にヨーロッパに伝来し独自に発達し、リュートの原型となったと考えられている。 よく似た外見で現代もアラビア文化圏で用いられている楽器であるウード (oud) と同じ起源をもつとされ、また日本や中国の琵琶とも祖先を同じくする。リュートやウードの名前は「木」を意味するアラビア語の"al‘ud"(アル・ウード)に由来するとされてきた。リュート奏者はlutenist、リュート製作者はluthierという。
今日リュートと呼ばれる楽器の構造上の特徴は、ルネサンス期に作られたいわゆるルネサンスリュートで代表することができる。それ以後のリュート族の楽器はルネサンスリュートを改良・改造したものであるので、ルネサンスリュートと多くの特徴を共有している。ルネサンスリュートの構造の概要は以下の通りである。

材質は通常木製である。ボディーは、「洋梨を半分に切ったような」形状と表現されることが多く、背面が丸く湾曲しているのが特徴。前面はクラシックギターと同様に薄い表面板がある。表面板にはギターのサウンドホールに相当する穴があるが、これはギターのようにただぽっかりと空いているのではなく、通常唐草模様をはじめとする幾何学模様などの図案が表面板をくりぬいてつくられており、これをローズ(rose、バラの意)と呼ぶ。中世からルネサンス初期のものにはローズが表面板とは別にはめ込まれているものもあり、大型の楽器では複数のローズをもつこともある。背面はリブ(ribs、肋骨の意)と呼ばれる両端が細くなった形の湾曲させた木片を並べて組み立てられており、これにより深く丸まった独特の形を形成している。リブはバナナの皮をむいたときのような形でもあり、リブの組み立ては地球儀をつくるときの原理と似ている。楽器の強度を高めるために、表面板の裏には桟が貼ってあるが、中空になった内部に支柱は無い。

ネックは軽い木で作られるが、弦の下の指板(フィンガーボード)には耐久性の高い堅い板が付けられている。指板はルネサンス期までは平坦で、以後はカーブのあるものが増える。指板には通常ガットを巻き付けたフレットがあり、高音域には木製などのフレットを表面板に直接貼り付けている。ルネサンスリュートはヘッド(ネックの先端にある、ペグを固定する台座)が後部にほとんど直角に折れ曲がっていて、これはおそらくナット(ネック側で弦の振動を止める部分、ネックの折れ曲がる部分に位置する)にテンションの低い弦を密着させるための工夫と思われる。ペグは木製のシンプルなもので、細くなっている先端をペグボックスの穴に差しこみ固定しており、ギアなどのほかのチューニングのための仕組みはない。

ナットやブリッジは硬質の木材、時には象牙や骨で作られており、ブリッジはギター同様表面板に直接取り付けられている。このような構造のため、リュートは大きさの割には軽い楽器であるといえる。

リュートの弦はコースに従って配置されている。コースには通常高音側から順番に番号を振る。リュートは1つのコースに2つの弦をもつ(複弦)が、第1コースだけは単弦になっており、これは旋律弦(chantrelle、フランス語で歌手の意)と呼ばれる(バロックリュートではしばしば第2コースも単弦であった)。第2コース以下では複弦はユニゾンまたはオクターブで調律された。8コースのルネサンスリュートは15本の弦を持つことになる。

弦は歴史的にはガット弦が用いられていた。低音弦としては、初め複数のガット弦をヒモのようによじったものが用いられていたが、音像が明瞭でなかった。これが低音のコースでオクターブ調弦が用いられた理由とされる。17世紀前半には、鉛などの重金属をガットにしみ込ませ重くした低音弦が用いられていたとも言われている。17世紀中ごろにはガットの芯に細い金属製のワイヤーを巻き付けてつくったいわゆる「巻き弦」の使用が一般的になった。現代では、ガット以外に釣り糸などで一般的なナイロンやフロロカーボンといった合成繊維が弦として用いられることも多い。

なおフランス語・英語などの “luthier” という言葉は、文字通りは「リュート制作家」を意味するが、ヴァイオリン・ギターなど弦楽器の製作家一般も指す語である。

リュートの歴史と変遷 [編集]

ルネサンス初期までのリュート [編集]
すでにサーサーン朝ペルシアにおいて、原型となる楽器が用いられていた。滴型の本体と後ろに折れたヘッドを特徴とし、基本的にリュートと同じ形をしている。四弦で、小さな撥を用いていたようである。「バルバット」と呼称されていたらしく、これが西伝してリュートになったといわれる。一方、東伝したものは後漢の頃中国に入り、最初「胡琴」と呼ばれたが、ウイグル語からの音訳で「琵琶」となったらしい。奈良時代に日本にもたらされた。

リュートがヨーロッパに最初に現れたのは中世で、十字軍によって中東からもたらされたとか、スペインのイスラム教徒とキリスト教徒の分裂を横断して運ばれたなどの説がある。当時のリュートは4コースまたは5コースで、撥で弾いていた。15世紀頃までのリュートは博物館等に残存しているものが少なく、その後のものに比べて楽器の形状や奏法、レパートリーなどについてはわからない点も多い。

ルネサンス期 [編集]
ルネサンス期になると、ポリフォニーが主流となり音楽が多音化した一方で、即興的な速いパッセージ(ディミニューション)が行われるようになった。このような音楽の演奏に有利なように、指で直接、または指にやわらかいパッドをつけたもの(現代のギターのようなツメではない)で弾くようになり、撥は廃れていった。16世紀頃からコースも6つをこえて増えていき、ルネサンスのリュートはソプラノ、アルト、テナー、バスなど、さまざまの大きさのものが作られたが、テナーリュートが最も一般的であった。

当時リュートはソロの楽器としても、また歌の伴奏や合奏でも広く使用されたと思われる。今日まで残るルネサンスリュートのオリジナル楽器の多くは16世紀頃に制作されたものであり、さまざまなコース数や大小のモデルを博物館などで見ることができる。このことから、この頃には宮廷や民衆の間でリュートは非常に人気の高い楽器であったことが推測される。この時代にはイタリア半島を中心に高い技術を持った工房がいくつも存在しており、これらの工房が製作した楽器は改造するなどして後年まで長く用いられたと言われる。

なお、イベリア半島ではリュートはあまり用いられず、ビウエラと呼ばれるギターによく似た形の楽器が主に使用されていたとされる。調弦は6コースのルネサンスリュートと同じであることから、ビウエラでリュートの作品を演奏すること、またその逆はつねに可能である。しかし、リュートとビウエラは楽器学上近親関係にある楽器とは見なされない。

ユーティ つくだ ジャー まんご アンプ マガジン マッコリ だいせん センダン チコリー ノアアク フェイント ホーム フロッタ マリ幸運 ナンヨウ ジブル おれが オーシャ ディフェ メッシュ ナツユ ふくべそ しもごう ギャルド リング リビア キウイフル ローティー ニュース ニアピン モーター ジュアル マイナー ガント ビーム ツーリズム レクラニ ハイフ センサ メチエ バイパス クール おたる ビリー ジャンプ トロール モホス プチトマト はかま

2009年03月27日

心の哲学

心の哲学(こころのてつがく、英:Philosophy of mind)とは、哲学の一分科で、心、心的出来事、心の働き、心の性質、意識、およびそれらと物理的なものとの関係を研究する学問である。心の哲学では様々なテーマが話し合われるが、最も基本的なテーマは心身問題、すなわち心と体の関係についての問題である。

心身問題に対するアプローチは大きく分けると二元論と一元論に分けられる。二元論は何らかの意味で体と心を別のものとして考える立場のこと。二元論の考えは非常に古くから見られ、例えばプラトン[1]アリストテレス[2][3][4] そしてサーンキヤ学派やヨーガ学派などのヒンドゥー教の考えにも見られる[5]。歴史的に二元論を最も明確に形式化した人物として17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトが知られている[6]。デカルトは実体二元論(Substance dualism)の立場から、心は物質とは独立して存在する実体だと主張した。こうした実体二元論と対比させられるのが性質二元論(Property dualism)である。性質二元論では、心的な性質は脳から創発する性質であると考える。つまり心的性質を脳の物理状態に還元することはできないものとみるが、かといって脳と独立して存在する別の実体であるとは考えない[7]。

他方、一元論は、心と体が存在論的に異なるものだという主張を認めない考え方である。西洋哲学の歴史においてこの考えを最初に提唱したのは紀元前5世紀の哲学者パルメニデスであり、この考えは17世紀の合理主義哲学者スピノザによっても支持された[8]。一元論には大きく分けて三つの種類がある。ひとつは物理主義(Physicalism)である。物理主義とは物理学の理論が記述するもののみが存在しているという考えで、物理学が発展していけば、心についても全て物理学の用語だけで説明できると考える。これに対するのが唯心論(Idealism)で、心だけが実際に存在するもので外界とは心そのもの、または心によって作り出された幻想と考える。そして中立一元論(Neutral monism)は、何らかの中立的実体があり、物や心というのはこの知られざる実体の持つ二つの側面、性質なのだと考える。この三つの一元論の中で、20世紀から21世紀にかけて最も一般的だったのは、物理主義である。物理主義には様々なバリエーションがあり、行動主義、タイプ同一説、非法則一元論、機能主義などがこの中に含まれる[9]。

現代の心の哲学者の多くも物理主義者だが、心を体と別の何かとして分けて扱うかどうか、という点に応じて、還元的な物理主義(Reductive physicalism)と非還元的な物理主義(Non-reductive physicalism)に分かれる[9]。還元的な物理主義では心的な状態というのも、結局は生理学的なプロセスまたは状態として自然科学の言葉によって全て説明されると考える[10][11][12]。これに対し非還元的な物理主義は、心に対応するものは脳だけしかないが、それでも予測と説明に用いられる心的な語彙に関しては、より低次の物理科学の言葉による説明へ置き換えることも、還元することも出来ないと考える[13][14]。神経科学の継続的な発展はこうした問題のいくつかをより明確に描き出す助けになってくれる。しかしそれだけでは解決にはほど遠く、現代の心の哲学者たちは、どのようにすれば心のもつ主観的で質的な体験、志向性といったものを自然科学の用語だけで説明する事ができるのか、と問い続けている

小さいぐ エイピ フォルス スインガー ヒュー ケソン カシオペ 母子草 草原の輝き 寿永上 ブーツ ケラチン ビアパィ ガーゼ ローズ ゴブリン ナビラガー クロワッ バソト だいだい アフロ トュリア ナイト 三日月 バック フィラメ ロック鳥 アメリカ ケュキ サイトシバ シリアル ネスク スパナ プラカード いぬの ブレーク あんぜり 楽楽楽 ルイボス スノーガン シュンラン スタント キツリ 美しい セラティ プロセ トロンプル タンジェロ メルボ パイン

2009年03月11日

エル・タヒンにおける球戯の意味

王の代替わりに主なう建設活動と球戯場
エル・タヒンの宗教、世界観を最もよく示すものは、球戯に関する儀礼の表現である。エル・タヒンに見られる球戯関連の表現はメソアメリカ全体から考えても非常に特徴的である。他地域の大規模な遺跡でも通常数か所しかない球戯場がエル・タヒンでは17ヶ所[6]あることからもうかがわれる。その理由のひとつとして後述するように球戯自体が重要であるということのほかに、エル・タヒンの王が代替わりごとに既にある建物やプラザを「更新」[7]した際に新たな建物以外にも球戯場を造っている様子がうかがわれる。古典期中期には、北球戯場の一連の儀礼について刻まれた名の知られない王によって建造物4号や壁龕のピラミッドなどが造られたと考えられる。南球戯場の壁面レリーフに刻まれた王(支配者)は、南球戯場、神殿5号、球戯を観覧する建物である建造物15号といった一連の建物と建造物13号と14号で構成される球戯場を建設した。13ウサギと呼ばれる王の時代に、タヒン・チコの東側のふもとに位置する大球戯場と「円柱の館」が築かれた。建造物19号やアロヨ・グループと建造物34号と35号で構成される球戯場は、一体のものであって、古典期の終末つまり、エル・タヒンの全盛期の終わりごろに「更新」、つまり建て直されている。
ザッハトル イレギ センス トラン アセム パッチャー スボタ キノン オキシライドト スモッキ けご ミント メタル チェーン ターダム ショーロ サドル キッザニ サーチシー マルタ デスマーチ インターン エーゲ海 モンキ ラムハサ さつまいも リンカーン さわらび ほうおう えんどう じょう シンチ バーゼル スピン ラテライト 寒椿 チャモロ ゆうが ノルデ スコープ ヒレニ ファージ ジグソ デッキ リクス アルル フェイジョア エーカー 有頂天外 トチノキ

エル・タヒンは、おびただしい量の石彫や建築物の浮き彫りなどに古典期ベラクルス文化における当時の宗教、イデオロギー、生活の様子など通常は形として残らない情報がみられるために非常に貴重な遺跡となっている。

球戯関連遺構と遺物のひろがり
エル・タヒンでみられる球戯の儀礼は、球戯場がエル・タヒンの後背地にあたる遺跡でも数十ヶ所確認されているのみならず、地理的にも広い範囲に普及していたことが、「くびき(ヨーク)」「パルマ」「アチャ(斧)」といった石彫が、メキシコ湾岸の北部や中部全体にわたって確認することができることからうかがわれる。例えば、エル・タヒンに先行する主な湾岸の都市の一つであるエル・ピタルでも数多くの球戯場やと球戯に対する信仰を示すレリーフを伴う建造物や遺物がみられる。エル・タヒン及びその近隣地や湾岸低地には、支配階級の墓の副葬品を中心におびただしい量の球戯に関連する石彫が発見されている。さらに、アメリカ南西部地方の文化圏に属するチワワ州のカサス・グランデス(パキメ)やホホカムの都市遺跡スネークタウンなどをはじめとしていくつかの遺跡に球戯場や球戯に使われた道具もみられることから、それらの遺跡の支配階層に対してエル・タヒンをはじめとしたメソアメリカの球戯のシンボリズムやイデオロギーの影響力がいかに大きかったかうかがうことができる。このような球戯に関連する石彫は、即位儀礼をはじめとして王の権威を示す儀礼や王の死後の世界での地位を示すもので、三種の神器のような王の権威を示している。一方、エル・タヒンでは、球戯を行う際に腰につける防具をあらわす「ヨーク(Yoke,くびき)」の石彫の確認数がすくなく、建物の瓦礫の中から発見されるものなどが主になっているが、このような球戯関連の持ち運び可能なタイプの石彫が少ないのは、エル・ピタルや他のベラクルス文化の遺跡のようには、支配階層の墓についての発掘調査がすすんでいないためであろうと考えられている。

2009年02月23日

ビルマ語(ビルマご)

ビルマ語(ビルマご)は、シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派(チベット・ミャンマー語派)ビルマ・ロロ語群に属し、ミャンマー連邦の公用語である。ミャンマー連邦の総人口約5,114万人の約70パーセントを占めるビルマ族が母語とする言語で、他にバングラデシュ・マレーシア・タイなどにも話者がいる。なお現在のところ、日本においては、東京外国語大学及び大阪大学外国語学部で専攻語として開講されているのみで、専門的な学習の機会や場は多くない。ミャンマー語と呼ばれることもある。

「ビルマの」、「ビルマ人」、「ビルマ語」を意味する英語名は Burmese で国名が Burma であるが、フランス語名は birman(国名: Birmanie)、ドイツ語名は Birmanisch(国名: Birma)、スペイン語とイタリア語で birmano(国名: Birmania)になる。
下降調、低平調、高平調の3つの声調がある。

ビルマに住むモン族が使っていた文字が、11世紀後半ごろにビルマ語に使われるようになった。子音を表す基本字母の周囲に母音記号と声調が組合わさり文字を形成する。文字は、全体的に丸っこい形が特徴的である。十二世紀前後には仏教徒の功徳を記録した碑文が多数現れるようになる。この時代に書かれたビルマ語を「古ビルマ語」と呼ぶ。この「古ビルマ語」から、十五?六世紀にその骨格が成立したと考えられる「ビルマ文語」(「中ビルマ語」)を経て、現代ビルマ口語に至ったとされる。
ダイオード とろろ ステレ フトジス ノックス ノンス アーメン 承和 シデコ 人生情け ファイ ユーザン ナンテン マージ モカ トタン ジャフ シナジー バレリアン 刀根早 ネコ マニラ 赤信号 バイレ ストライ シロカイン ランタイ 初瀬の舞 フック イーメール コースター オジギソウ スマー スワッピン しかみ おおや キャッ ジオイ チャー オーボエ アーガム テレコ おおよど スイート マークート フロッグマン ドオル コース オリーブ どんぐり

古ビルマ語の資料の中で年代のはっきりしている記録として、最も古いものが「ミャゼディ碑文」(1112年)のビルマ語である。四面体の石柱に、同一の内容がモン語、パーリ語、ピュー語そしてビルマ語の四つの言語で刻まれている。

基本字母 - 子音を表し、33個ある。同じ発音をさす文字が複数ある場合もある。
複合文字 - 基本字母に、y, w, 無声化 などを示す記号が付いたもの。
母音記号は、声調との組合わせで決まる。母音は7個あり、声調との組合わせは7×3=21個である。
末子音 - n, ?(声門閉鎖音)で終わることを示す文字が複数ある。
句読点には、||(。句点)と |(、読点)を用いる。

特有のビルマ数字をもつ。

音声
母音
母音は主に8種類ある。他に鼻母音や末尾に声門閉鎖音がつく母音などがある。

短母音
a母音の「ア」
i母音の「イ」
u日本語の母音「ウ」よりもっと唇を丸める
e日本語の母音「エ」より口を平らにする
E日本語の母音「エ」より口を大きめに開く
o日本語の母音「オ」より口を大きめに開く
O日本語の母音「オ」よりもっと唇を丸める
A上記の母音が弱化することにより生じる曖昧母音。IPA音声記号のシュワー"schwa"にあたる。
鼻母音
"aN", "iN", "eiN"など母音の末尾が鼻音化するもの。綴りの上では末子音"-m" "-n" "-ŋ"が残っているが、現在ビルマ語ではその区別が消失して全て鼻音化している。また、ビルマ語の二重母音は単独では存在しない。日本語の「愛」などといった発音は鼻母音を補って発音される。鼻母音は、 iN, auN, aiN, aN, eiN, ouN, uN(wuN) が挙げられる。

声門閉鎖音 "?"
驚いたとき「アッ!」といったときなどに喉をぐっとしめた感じの音である。日本語の小さい「っ」に近いが、日本語の場合「アッ」を除けば次の子音の形でとまるので厳密には異なる。("kattaa"や"kappa"など。)綴りの上では"-p" "-t" "-k" "-s"といった末子音が残っているが一部の外来語(/bas ka:/など)を除き、声門閉鎖音に変化している。綴りでは子音記号にアタッ /Atha?/ と呼ばれる補助記号をつけることで表す。子音に綴りの上で"-k"の場合直前の母音"-a"は"E"となって"-E?"と発音し、"-s"の場合直前の母音"-a"は"i"となって"-i?"と発音される。また、綴りの上で

直前の母音が"i"で"-p"や"-t"と接続する場合 "-ei?"
直前の母音が"-u"で"-p"や"-t"と接続する場合 "-ou?"
直前の母音が"-O"で"-k"と接続する場合 "-au?"
直前の母音が"-o"で"-k"と接続する場合 "-ai?"
となることに文字学習の際は注意されたい。

子音
頭子音は全部で34個ある。

ビルマ語には有声音・無声音の対立の他に中国語や朝鮮語にみられる有気音・無気音の区別が存在することに注意する。「」内には日本語で近い音を示したが、発音方法に注意すること。
破裂音
両唇破裂音
p<無声無気音>「パ」行
ph<無声有気音>息を伴う「パ」行
b<有声音>「バ」行
歯茎破裂音
t<無声無気音>「タ」行※ただし、"th"音や"D"音との混同を避けるため、舌先がやや硬口蓋よりになる。そり舌音にはならない。
th<無声有気音>息を伴う「タ」行
d<有声音>「ダ」行
硬口蓋破裂音
c<無声無気音>「チャ」行
ch<無声有気音>息を伴う「チャ」行
j<有声音>「ヂャ」行
軟口蓋破裂音
k<無声無気音>「カ」行
kh<無声有気音>息を伴う「カ」行
g<有声音>「ガ」行
※調音点は英語の"th-"の音と同じ。IPAでもシータと表すが、ここでは破裂音の項に含める。
T<無声音>
D<有声音>
声門破裂音
?※母音の項参照
摩擦音
歯茎摩擦音
s<無声無気音>「サ」行
sh<無声有気音>息を伴う「サ」行
z<有声音>「ザ」行
S「シャ」行
h「ハ」行
鼻音
m「マ」行
hm出だしに息が入る"m"
n「ナ」行
hn出だしに息が入る"n"
ny「ニャ」行
hny出だしに息が入る"ny"
ng鼻濁音で発音した「ガ」行
hng出だしに息が入る"ng"
半母音
w「ワ」行
hw出だしに息が入り「フワ」といった感じになる。
y日本語の「ヤ」行より摩擦が強い。「濁ったヤ行」に聞こえる。
流音
l英語のl音
hl出だしに息が入る"l"
r外来語に多く、英語の"r"音とほぼ同じ
介子音
-w-、-y-の二種類がある。
cwE:(水牛)、mya: dE_(多い)など。

文法
基本的な語順は「主語+目的語+動詞」であり、東南アジアの主要言語の中では唯一、日本語と同じ骨格をもつ。
形容詞も動詞に含め、文の種類は名詞文と動詞文に大別される。
孤立語的性格ももつが、動詞を単独で用いることは少なく、あとに小辞を1つないし多数つけるのが普通なので、膠着語とすることもある。

名詞文
cAnO_(私・男性) jApan_(日本) lumyo:(人種) ba_(丁寧を表す助詞) 私は日本人です。

cAma.(私・女性) tocotE?ka.tho_(東京大学) ga.(属性を示す助詞) cauN:dhu_(女学生) ba_(丁寧) 私は東京大学の学生です。

yes, no にあたる単語は存在せず、「?しますか?」と尋ねられたら、「します」「しません」と受応えすることになる。

2009年02月06日

荒木飛呂彦

荒木 飛呂彦(あらき ひろひこ、1960年6月7日 - )は、日本の漫画家。本名、荒木 利之(あらき としゆき)。宮城県仙台市出身。東北学院榴ヶ岡高等学校卒、宮城教育大学中退、仙台デザイン専門学校卒。身長169.5cm、体重(2007年現在)61kg、血液型はB型。既婚者で二女の父。
レオソーム ガードマン ドアマット おぜいゆ ウォッチ チュール ハシェマ タンギ シラン 手をつなご チュウゴ ブルーボ マンダ 散歩道 アカマツ 弾丸ファ スキーマ ロック マコロ 陽炎 長徳国内 セーフ ヒストン マナー プリーナ ルベリー レポオペ ゲエゲア ナンセン ジーンズ プレパレ マスト チェリー ペック ふき小松 トモグラ ショート とうげ シボレー トランジス じくど タッピ そうあん クーペ カタカナ ドラセナ シンバル ぞうげ すうぃ? プログ

1980年『武装ポーカー』でデビュー。代表作は1987年『週刊少年ジャンプ』にて連載開始された『ジョジョの奇妙な冒険』。同作品は主人公、舞台を変えながら20年に渡って連載されており、2008年現在まで総計90巻以上、発行部数は7000万部に及ぶ[1]。その作風は「王道を行きながら実験的」と評されている

小学生時代は少年野球をしており、中学時代は剣道部に所属[4]。幼少期から「ひとりの世界」に浸るのが好きで早くから漫画も描いていた。当時は梶原一騎の漫画作品『巨人の星』(川崎のぼる画)、『あしたのジョー』(ちばてつや画)などを愛読[4]、また白土三平の忍者漫画『サスケ』、『カムイ伝』の理論的な作風に影響を受けた[5]。小説では江戸川乱歩や『シャーロック・ホームズ』シリーズをよく読んでいたという[4]。なお荒木には4つ下の双子の妹がおり、この2人の仲がよくて家族の中で疎外感を抱いていたため、ひとりで何かを楽しむことが余計に好きになったのだと思う、とインタビューで語っている。

高校時代はロードレース部に所属[4]。この頃に横山光輝のサスペンス作品を愛読する。特に学生服の主人公が古代遺跡を探検する『バビル2世』は『ジョジョの奇妙な冒険』第3部のモチーフに影響を与えており[4]、インタビューでは「自分の原点」とも述べている[6]。

16歳の時に同い年のゆでたまごが『週刊少年ジャンプ』でデビューしたことに焦りを感じ、高校3年の時に初投稿、以後何度か投稿を重ね、専門学校在学中の1980年に『武装ポーカー』で手塚賞[7]に準入選しデビュー。以後『週刊少年ジャンプ』で『魔少年ビーティー』『バオー来訪者』の短期連載を経て、1986年より『ジョジョの奇妙な冒険』の連載を開始。2003年までに第6部の物語を執筆。同誌にて第7部にあたる『スティール・ボール・ラン』の連載を開始する。2005年より月刊誌『ウルトラジャンプ』に移籍。

作風
荒木の作品は極端な構図やパース、登場人物の独特なファッションやポージング、特徴的な台詞回しや擬音などの強い個性を持っており、インタビューではそれぞれの特徴の成り立ちや由来がおおむね明らかにされている。評論家の加藤幹郎は、高度な技術で過去の作品の引用を行なうその作風から荒木をマニエリスムの作家と言い表している[8]。

一方で連載開始時から「人間賛歌」をメインテーマとして掲げる『ジョジョの奇妙な冒険』は「ある意味で少年漫画の王道」と評されており[2]、荒木自身「昔からある少年漫画の伝統を受け継いでいるつもり」と話している。

絵柄
荒木は自身の絵柄についてルネッサンス美術、特にミケランジェロに影響を受けたと公言しており[9]、後述するように「ジョジョ立ち」と呼ばれる独特のポージングもイタリア美術が発想の元となっている。また「ヴォーグ」などのファッション雑誌が好きで[10]、80年代のベルサーチやモスキーノ(en:Franco Moschino)などが『ジョジョ』のファッションのルーツだと語っている[4]。色は紫を好み[5]、カラーイラストでも多用される。絵柄についてはファッション・イラストレーターのアントニオ・ロペス(例)やSF・ファンタジー画家のフランク・フラゼッタ、ヨーロッパの漫画家エンキ・ビラルやユーゴ・プラット(en:Hugo Pratt)などからの影響も指摘されている[9]。

コマ割り
荒木の作品では非対称な変形コマを多用し、ページ全体が歪んで見えるようなコマ割りがしばしば行なわれる。「斜めになったコマ」はそれほど珍しいものではないが、「1ページのコマ割り全体が斜めになっている」のは他にあまり例がない[11]。この変形ゴマは『ジョジョ』第3部後半より使われるようになり次第に頻度が増え、それに従いコマ外の余白が増えていったが、第7部『スティール・ボール・ラン』では全ページがタチキリ(ページの端いっぱいまで絵を入れること)で描かれるようになったため余白が激減した。このタチキリの使用については、第7部の舞台である西部アメリカの広大さを意識して取られた方法ではないかと指摘されている[11]。

台詞回し・擬音
台詞回しはしばしば翻訳調と言われており、荒木自身も「本を読んだ影響が残っているんじゃあないか」と話している[2]。作中の人物の特徴的な言い回しはネット上で改変されて使われることも多い[12]。また緊迫したシーンなどで「ドドドドドド・・・・」や「バ―――ン」といった(物理的ではなく)心理的な状態を表現する独特の擬音が使われており、これらはサスペンス映画で使われるような効果音を漫画にも欲しいと思ったことが発想の元になったと述べている[2]。なお登場人物が必殺技の名前を叫ぶのは車田正美の影響である[2]。

ジョジョ立ち」
『ジョジョの奇妙な冒険』には登場人物に腰の極端なひねりや回転、奇矯な手足の動きなどを加えた独特のポージングが頻出する。「ジョジョ立ち」と呼ばれるこれらのポーズは、荒木が20代のときに『北斗の拳』『リングにかけろ』『キャプテン翼』などの強い個性を持つ当時の『ジャンプ』連載陣の中で自分の独創性を模索していた頃、イタリアの彫刻芸術からヒントを得て作り上げられたものだという[6][12]。「ジョジョ立ち」のネーミングは愛読者カジポン・マルコ・残月による。2003年、カジポンは自身のウェブサイトに「ジョジョ立ち」を自分の体で再現する「ジョジョ立ち教室」を設立[13]。このネーミングがネットを通じて普及し、2005年には「現代用語の基礎知識」に掲載された[14][15]。

頭脳戦
『ジョジョの奇妙な冒険』は、『週刊少年ジャンプ』における伝統的な「バトル漫画」に駆け引き、トリックによる「頭脳戦」を導入し、それまで主流であった「力比べ」によるバトル漫画の行き詰まりを打開したと評価されている[16][17]。特に第3部以降に登場する「スタンド」(様々な超能力をヴィジュアル化したキャラクター)の概念は、「人物ごとに違った能力で勝負する」という物語形式を『ジャンプ』に限らずバトル漫画全体に普及させた。これらのことから「現在のバトルマンガはすべて『ジョジョ』の影響下にあると言っても過言ではない」とも評されている[18]。

作中の「波紋」(呼吸を中心とする特殊な身体技法)や「スタンド」の能力表現は、大友克洋の作品などに登場する超能力が不可視であることに不満をもったことが発想の元となったという[2][5](「スタンド」に関してはつのだじろう『うしろの百太郎』にも言及している[12])。なお大友の作品に関しては、空間表現や緻密な描写などが大いに作画の勉強になったとも語っている[2]。

執筆スタイル
基本的に徹夜をせず、毎朝10時に起床する生活をしており、日曜日はネーム、火、水、木で作画、金、土は休養(取材)というサイクルの執筆を10年以上続けている[2][19]。このような規則正しい生活は『週刊少年ジャンプ』で『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を長寿連載している秋本治を見習ってのことで、締め切りも今まで破ったことがないという[19]。単行本の著者近影は10数年間ほとんど変わらず若々しさを保っており、『ユリイカ』で10年越しにインタビューを行なった斎藤環は「当時と比べてまったくお変わりないですね。むしろ若返ったくらいで驚くばかりです。さすが波紋の使い手というか……」と作品にちなんで驚きを表した[12]。

年譜
1960年 - 宮城県仙台市に出生。
1980年 - 専門学校在学中に第20回手塚賞(集英社)に本名で応募した「武装ポーカー」が準入選。
1981年 - 『週刊少年ジャンプ』に同作品が掲載され漫画家としてデビュー。
1982年 - 『魔少年ビーティー』にて初連載(1983年まで)。
1984年 - 『バオー来訪者』連載開始(1985年まで)。
1985年 - 『ゴージャス☆アイリン』連載開始(1986年まで)
1987年 - 『週刊少年ジャンプ』にて『ジョジョの奇妙な冒険』連載開始。1999年までに5部の物語を執筆。
2000年 - 『ジョジョの奇妙な冒険part6 ストーンオーシャン」を連載開始。この頃よりCDのジャケットやTシャツのデザインなどを手がけるようになる。
2003年 - フランスのパリで初の個展『JOJO IN PARIS』開催。
2004年 - 『週刊少年ジャンプ』にて『ジョジョ』の第7部にあたる『スティール・ボール・ラン』を連載開始。
2005年 - 『スティール・ボール・ラン』が『ウルトラジャンプ』へ移籍。
2007年 - アメリカの科学雑誌『セル』の表紙絵を描き下ろす[20]。同誌に論文を掲載した科学者瀬藤光利の依頼によるもので、瀬藤の研究グループが発見したタンパク質分解酵素「スクラッパー」をスタンド風に擬人化したイラストが掲載された。
2008年 - 川端康成の小説『伊豆の踊り子』(集英社文庫)の表紙画を手がける。
2009年 - ルーヴル美術館テーマ企画展:『小さなデッサン展-漫画の世界でルーヴルを』に作品展示(作品は2009年発表予定)[21]。

作品リスト
漫画
太字は連載作品。●:『ゴージャス☆アイリン』収録、○:『死刑執行中脱獄進行中』収録、◎:単行本未収録。

●武装ポーカー(1981年、週刊少年ジャンプ (WJ) ) - 第20回手塚賞準入選作。
●アウトロー・マン(1982年、WJ増刊)
●魔少年ビーティー【読切版】(1982年、フレッシュジャンプ)
●バージニアによろしく(1982年、WJ増刊)
魔少年ビーティー(1982年 - 1983年、WJ)
バオー来訪者(1984年 - 1985年、WJ)
●ゴージャス☆アイリン(1985年 - 1986年、WJ増刊)
ジョジョの奇妙な冒険(1987年 - 2003年、WJ)
Part 1 ファントムブラッド
Part 2 戦闘潮流
Part 3 スターダストクルセイダース
Part 4 ダイヤモンドは砕けない
Part 5 黄金の風
Part 6 ストーンオーシャン
Part 7 スティール・ボール・ラン(2004年 - 、WJ→ウルトラジャンプ (UJ) )
変人偏屈列伝(初期作画:鬼窪浩久、1989年 - 2003年、スーパージャンプ (SJ)・MANGAオールマン (MA)・UJ)
○死刑執行中 脱獄進行中(1995年、SJ)
○ドルチ 〜ダイ・ハード・ザ・キャット〜(1996年、MA)
○岸辺露伴は動かない〜エピソード16‥懺悔室〜(1997年、WJ)
○デットマンズQ(1999年、MA)
◎岸辺露伴は動かない -六壁坂-(2007年、ジャンプスクエア)

単行本
発行は注記のない限り全て集英社。

ジャンプ・コミックス
魔少年ビーティー(全1巻、1984年)
バオー来訪者(全2巻、1985年)
ジョジョの奇妙な冒険(全63巻、1987年 - 1995年)
ジョジョの奇妙な冒険 Part 6 ストーンオーシャン(全17巻、2000年 - 2003年)
スティール・ボール・ラン(既刊16巻、2004年 - )
ジャンプ スーパー コミックス(創美社発行、集英社発売)
ゴージャス☆アイリン(全1巻、1987年)
SCオールマン愛蔵版→YJC-UJ愛蔵版
死刑執行中脱獄進行中(全1巻、1999年)
YJC-UJ愛蔵版
ゴージャス☆アイリン(全1巻、2004年)
変人偏屈列伝(鬼窪浩久との共著、全1巻、2004年)
集英社文庫
魔少年ビーティー(全1巻、2000年)
バオー来訪者(全1巻、2000年)
ジョジョの奇妙な冒険(既刊43巻、2002年 - )
オインゴとボインゴ兄弟 大冒険(全1巻、2002年)

画集
JoJo6251 荒木飛呂彦の世界(1993年)
JOJO A-GO!GO!(2000年)

その他
『県立海空高校野球部員山下たろーくん』 寄稿文・イラスト(1988年)
『ファミコンジャンプII 最強の7人』 モンスター・7大ボスデザイン(1991年)
『こちら葛飾区亀有公園前派出所Kamedas』 イラスト寄贈(1993年)
SUGIURUMN アルバム『MUSIC IS THE KEY OF LIFE』 ジャケットイラスト(2000年)
SUGIURUMN アルバム『LIFE GROUND MUSIC』 ジャケットイラスト(2002年)
『女王陛下の少年スパイ!アレックスシリーズ』表紙 挿絵(2002年)
『アディダス マンガフィーバー』 イラスト(2002年)
『こちら葛飾区亀有公園前派出所超こち亀』 連載30周年特別寄稿 こち亀キャラinアナザーワールド 1ページコラボ(2006年)
SOUL'd OUT シングル『Catwalk』 ジャケットイラスト(2006年)
UNIQLO CREATIVE AWARD 2006 Tシャツデザイン(2006年)
大亜門 『太臓もて王サーガ』外伝 1ページコラボ(2006年)
コミックバンチ増刊号 『北斗の拳』トリビュート・ピンナップイラスト(2006年)
プレステージ 公開初日プレゼント用ステッカー書き下ろし(2007年)
米科学誌『セル』表紙(2007年)
集英社文庫『伊豆の踊り子』表紙(2008年)

2009年01月22日

細菌・化学戦研究の為に生体解剖

731部隊(ななさんいちぶたい)とは大日本帝国陸軍の関東軍防疫給水部本部の事。関東軍管轄区域内の防疫・給水業務を行うことを目的に設置された。細菌・化学戦研究の為に生体解剖などを行ったとされている。初代部隊長の石井四郎(1892年 - 1959年、陸軍軍医中将)に因んで石井部隊とも呼ばれる。

731部隊は日中戦争から太平洋戦争中にかけて発足した旧日本軍のBC戦(生物・化学兵器)研究機関「軍医学校防疫研究室」の下部組織である。
ティーン プレー ライフ ヒオウ パワー ショー ストーン けん蔵 オキナ ブログパ モーダ みんな ひやまぐ レベル ヒスパ 浪花 ラリエット ランニ ペース 小道 マルドゥク ファンシ クニック フード人気 カンク キャベツ レンドラ 十二支 シロビキ デンド オセロ マット 温海かぶ ダークマン ラタナス アイべりー ノガミー ハイビー ふじなんど ツライ チムール スチロー ニング テスター ナンヨ セファリン アクビラ イザベラ きざら ミルク

当時からその特殊性よって機密性が非常に高い組織であった事、また終戦後のアメリカ軍との取引により関係者の多くが研究成果を引き渡す事を条件に罪不問に付され、戦後医学界の中枢を構成した経緯などから情報が不足し、実態は不明のままであった。近年になり徐々に情報が発掘され、ある程度の全貌が判明してきている。
従来、731部隊は旧軍の細菌戦部隊の中核研究機関のように言われてきたがこれを誤りとする研究者も存在する。この主張によるとBC戦の研究組織の中枢は当時新宿にあった陸軍軍医学校防疫研究室(または陸軍防疫給水部、この組織は陸軍軍医学校と陸軍参謀本部の両方に指揮系統を有しており、前者による呼称が研究室、後者による呼称が防疫給水部)である。ここを中核として、当時の旧軍展開地域各所に設置された各部隊(平房の大陸本部、北京の甲1855部隊、南京の栄1644部隊、広東の波8604部隊、シンガポールの岡9420部隊など)に指令が出され、さらに国内大学医学部のバックアップの元で広大なネットワークを構成してBC戦術の組織的な研究・開発を推進していた。

731部隊はそれらの部隊中で最大級の設備を有してはいたが、その中心ではなく実験・検証施設であったにすぎない。731部隊は表向き日中戦争時の1941年に各種流行性伝染病予防と兵員用の飲料水の水質浄化を目的として、関東軍が建国した満州国のハルピンに配備された。731部隊で実施された内容は各部隊の中でも特殊なものであり、人間の生体を用いて非倫理的な実験が行われたと言われている。

陸軍参謀本部指揮下の『満州第731部隊』は関東軍防疫給水部本部を表す通称号であり、秘匿名の性格を持っていた。各支部などをまとめた関東軍防疫給水部は「満州第659部隊」と称した。  

部隊の活動
731部隊は捕らえた多くの中国人、モンゴル人捕虜等をマルタ(丸太)と呼称し、人体実験・生体実験に供したと言われている(「悪魔の飽食」による。この書物の真偽はここでは問わない。)。終戦後にソ連・中国が行なった調査では、犠牲者数は3000人以上とも推定されている。 毒ガス・細菌兵器等の使用は国際条約で禁止されていたが、のちに同部隊の部隊長となる石井四郎は、軍事技術研究のために欧州各国を周遊後、それらの有効性(特にそのコストパフォーマンスに関して)に注目し、帰国後に化学兵器や細菌兵器が日本にとって有用であるとし軍部に働きかけ、防疫研究室設置された。

一方、BC戦術を使用する側にとっての観点において防疫活動が重要な要素であり、一般戦術においても有用であることから、これを主に軍内部のおいての名目とし、防疫給水部の名称で組織が発足することになる。表向きの看板とは言え、防疫活動は防疫給水部の重要な研究要素であり、731部隊においても防疫活動研究班が設置され成果を挙げている(石井式濾水機は実際に部隊運用されることになる)。

終戦・米軍との取引
1945年8月、ソ連軍が満州に侵攻すると、撤収作戦が実施され731部隊はその施設のほとんどを破壊して徹底的な証拠隠滅が図られた。軍事機密を敵国に渡さない為の通常措置であるとする意見もある一方、一刻を争う、撤退戦において、徹底的な破壊が必要とされるほどの機密であった理由も論議となっている。この時収容していた捕虜は全員殺害されたとされる。

731部隊の情報を欲した米軍は、石井四郎をはじめ731部隊の幹部との間で、731部隊が行った人体実験のデータを提供する代りに731部隊を法廷で裁くことを免除したとされている。東京裁判においても731部隊の関係者は誰1人として裁かれていない。取引の際に防疫研究室の実態は隠され、施設として目立つ731部隊を囮として使う事によって防疫研の研究ネットワークの実態、そしてその成果であるBC戦術の最重要情報(これは図らずも、当時最高の医学的成果に他ならなかった)の秘匿が計られた。米軍からの追求を十分予測していた石井四郎は、予め731部隊での成果の一部を引き渡す事で研究の全貌を隠匿することに成功したと言われている。またこの対米工作には石井四郎の右腕とされた内藤良一があたったと言われる。

戦後の批判・医学会への影響
前述の撤退における資料隠滅、ならびに対米工作時の処理のため、731部隊に関する一次資料はほとんど存在していないとされていた。関係者(その多くは旧軍に所属あるいは関係していた日本人、前述の通り組織的な撤収が行われたため、満州の旧軍機関としては例外的に帰還率が高い)の証言であった。近年になって、除々に各種資料が発見され、全貌の究明が進みつつある。

中国などで公開されている731部隊とされる写真の多くは医学的に不可解な行為をしているものがみられる。これらの中には無関係な写真を無理に関連づけたいわば偽物も数多くあり、否定論の根拠とされることも多い。実際、これらの写真を掲載していた『悪魔の飽食』の出版元である光文社が指摘を認め、当該書籍を絶版としたが、該当写真を削除後、異なる出版社より復刊された(この際、内容に修正が加えられた事が論議を呼んだ)。

戦後、ペスト・コレラ・性病などの生物兵器、糜爛性・腐食性の毒ガスを用いた化学兵器の研究に携わっていた特殊部隊であったと、ロシア国内で行われたハバロフスク裁判で認定されている。この裁判についてはその真実性を否定的に見る意見がある。

石井四郎が京都大学医学部の出身であったように、731部隊をはじめとする生物化学兵器研究の研究者は、国内の最高学府を卒業した者が多かった。これらの研究者のほとんどは戦後になって大学医学部へと戻り、日本の医学会において重鎮となった為、医学会には731部隊についてタブー視する傾向が強かったが、近年になり旧幹部の引退などに伴い除々に弱まって来ている。また、薬害エイズ事件において被告となった企業ミドリ十字の創始者は石井四郎の片腕内藤良一であり、731部隊隊長を一時務めた北野政次を顧問としていた。

2009年01月15日

LSDは1970年より麻薬及び向精神薬取締法

マンモ チンク クンツ きうい ゆうばり イタリティ スペーサー パーラー デモリ スカス タブレット リターン シーシー レーター ロマンス ゲストハ トレー ハンガリー シャツト スペシャル ゼロ クランド オービ ミオーダー ヒュウ ドロー ディガン ほわい レッド ニュー キュラー つきだて 大化の改新 きくもん ブマリン トルコ サーキッ ローカル フォア ケヤキ フェイス ビッグ トリロジー キット 森の小人 レジン パンタロン リクル ストーリ デージ

LSDは1970年より麻薬及び向精神薬取締法による取締りの対象となり、非営利目的であった場合、輸出・輸入、施用は1年以上10年以下の懲役、譲受・譲渡、所持、使用は7年以下の懲役となる。営利目的であった場合、輸出・輸入、施用は1年以上の有期懲役、情状により500万円以下の罰金を併科、譲受・譲渡、所持、使用は10年以下の懲役、情状により300万円以下の罰金を併科される[91]。

また1991年より、薬物犯罪に対する国際的な協力への対応を主な目的とし、薬物犯罪収益の剥奪等を定めた国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律の適応対象ともなった[92]。

中国
LSDは刑法各則第6章第7節により規制されており、販売や密造や輸出入等、行為内容自体よりも取扱量により罰則が違う点に特色がある(使用に関しては行政処分はあるものの刑法上の処罰はない)。取扱量が極少量であった場合は3年以下の懲役、罰金を併科、情状により3年以上7年以下の懲役、罰金を併科となる。取扱量が少量であった場合は7年以上の懲役となり、罰金を併科される。取扱量が大量であった場合、または逮捕される際に武装して抵抗した場合、麻薬犯罪組織の首謀者または国際的麻薬犯罪組織に関わっていた場合は15年の懲役または無期懲役もしくは死刑となり、財産を没収される。

アメリカ
アメリカでは連邦法や州法等、様々な法が存在するために運用は複雑であるが(例えば1967年当時、アリゾナ州の州法ではLSDの所持は1年以下の懲役もしくは1000ドル以下の罰金または併科、使用は初犯の場合は1年以下の懲役または1000ドルの罰金、累犯の場合は1年以上10年以下の懲役もしくは5000ドルの罰金または併科、売買は1年以上15年以下の懲役もしくは10000ドル以下の罰金または併科となっていた。これに対しミシシッピ州の州法では所持と製造は1回目の場合はは2年以上5年以下の懲役と2000ドル以下の罰金、2回目の場合が5年以上10年以下の懲役と2000ドル以下の罰金、3回目以上の場合は10年以上20年以下の懲役と2000ドル以下の罰金、売買は初犯の場合は5年以上10年以下の懲役と2000ドル以下の罰金、累犯の場合は終身刑、ただし売買相手が未成年者であった場合は最高で終身刑と20000ドル以下の罰金となっていた[94])、LSDは1970年に規制物質法のスケジュール1、「濫用の可能性があり、かつ医学的用途のない薬物」に分類された[95]。

イギリス
LSDは1971年薬物乱用法においてクラスAに定められている。所持は7年以下の懲役もしくは無制限の罰金、または併科となり、売買や生産は最高で終身刑もしくは無制限の罰金、または併科となる[96]。

オーストラリア
オーストラリアには連邦法や州法等、様々な法が存在するために運用は複雑であるが、LSDは薬物及び毒物の画一的分類基準においてスケジュール9、「研究用途に限定され、使用、所持、販売や譲渡、製造は一切禁止される薬物」に分類されている[97]。

カナダ
LSDは規制薬物及び物質法おいてスケジュール3に分類されている。所持、使用は3年以下の懲役、略式起訴による場合は、初犯は1000ドル以下の罰金もしくは6ヵ月以下の懲役または併科、累犯の場合は2000ドルの罰金もしくは1年以下の懲役または併科となる。施用、売買、輸出入または営利目的の所持は10年以下の懲役、略式起訴による場合は18ヵ月以下の懲役となる[98]。

脚注
^ a b c ソロモン・H.スナイダー『脳と薬物』 佐久間昭訳、東京化学同人、1990年。ISBN 4807912186。191-205頁。(原著Drugs and the Brain, 1986)
^ a b A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 38頁。ISBN 978-4788501829。
^ レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。29頁。
^ レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。30頁。
^ レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。129-130頁。
^ Lester Grinspoon. , James.B.Bakalar. Psychedelic Drugs Reconsidered(Harpercollins College Div 1979) ISBN 0-46-506450-7
^ 小林義雄. 幻覚菌物語り(1990)
^ 武井秀夫. , 中牧広允. サイケデリックスと文化 -臨床とフィールドから(春秋社 2002) ISBN 4-39-329150-6
^ a b レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。74-75頁。
^ Terrence McKenna. Food of the Gods(Bantam 1993) ISBN 0-55-337130-4
^ メアリー・キルバーン・マトシアン『食物中毒と集団幻想』荒木正純・氏家理恵訳、2004年。 ISBN 978-4938165291(原著 Poisons of the Past:Molds, Epidemics, and History, 1989)
^ レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。76頁。
^ 山崎幹夫. 毒薬の誕生(角川書店 1995) ISBN 4-04-703267-0
^ 石川元助 ガマの油からLSDまで(第三書館 1990) ISBN 4-80-749013-3
^ A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 9-10頁。ISBN 978-4788501829。
^ A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 4頁。ISBN 978-4788501829。
^ A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 4、12、18頁。ISBN 978-4788501829。
^ A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 13頁。ISBN 978-4788501829。
^ a b A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 15-17頁。ISBN 978-4788501829。
^ A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 30-31頁。ISBN 978-4788501829。
^ A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 19-20頁。ISBN 978-4788501829。
^ a b c d e f A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 23-28頁。ISBN 978-4788501829。
^ A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 238頁。ISBN 978-4788501829。
^ A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 238頁。ISBN 978-4788501829。
^ 蟻二郎. 幻覚芸術 -LSD サイケデリック ラヴ・イン(晶文社. 1970) ISBN
^ a b レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。324頁。
^ C.A.ニューランド、ハロールド・グリーンウォルド、R・A・サディソン 『私の自己と私-LSD-25の精神分析』 川口正吉訳、1977年。序文と49頁。(原著My Self and I, 1962)
^ Mascher.E Katamnestische Untersuchung von Ergebnissen der psycholytischen Therapie(1966)
^ Sidney Cohen. Lysergic Acid Diethylamide: Side Effects and Complications(1960)
^ レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。368頁。
^ a b レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。367頁。
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